10-48レポート:謄写版原紙を求めて〜岐阜
謄写版にとっては切っても切れないもの「原紙」を求めて岐阜県へ10-48の自主研修旅行なるものに行ってきました。
「謄写版原紙はなんてったて四国」という一文は志村章子さん著の本にもありましたが、現在は岐阜県で生きていました。
まず伺ったのは「大東化工株式会社」にあります謄写技術資料館。ここには社長コレクションによる謄写版関係の品々が。
この大東化工は実はタイプ原紙の世界シェアNo1の企業。世界的に見ても原紙需要は少なくなっているもののまだ根強く現役だそう。
そんな原紙の元となっているは岐阜の「典具帖紙」。軽く、複雑に繊維が絡み合って丈夫である和紙の高度な技術には謄写版という一大産業を支え続けた「誇り」があるのでしょう。日本の美濃典具帖紙という和紙を化工した原紙を扱う製造メーカーであるからこそ各国の謄写版道具コレクションにそう感じました。
謄写版原紙は雁皮紙ですが、謄写版の技術の発達と共により強靭なものや手軽な原紙を求められるようになりその過程で「タイプ原紙」や「ボールペン原紙」が登場します。その原紙の芯になる紙が「典具帖紙」とのこと。
そういえば最近ボールペン原紙と各種道具がセッティングされた「ガリ版セット」が他者から販売されてるのですが、このボールペン原紙自体の製造はこちらのようですね。
コレクションにもありました謄写版輪転機の発展は海外(主にヨーロッパ圏)が早く、国内は後発となります。これは私調べですがオランダで「ゲステットナー」を使った謄写版(ミメオグラフ)ワークショップがあるそう。こちらも、時期を見て視察に行ってみたいものです。
こちらのコレクションにはロウ引き機も展示してありこの後訪問します昭和紙工さんから寄贈されたようです。
大東化工社長様有難うございました。
次に伺ったのは私も10-48のWSでも使用させていただいてます原紙を生産している昭和紙工へ。現在日本で「ロウ原紙」をロウ引きしているところはここだけになるとおもいます。
会社の場所は岐阜県美濃市中心にほど近いところにありますが、今回ロウ引きをしている作業場はさらに山沿いの集落になります(地名は伏せさせていただきます)。
この一帯は謄写版全盛期には皆罫線印刷からロウ引きまで行う謄写版原紙生産業を行っており最盛期には朝の六時から夜の十時まで働きづめの生産状態だったそうです。
四国は一人、岐阜は二人引きのロウ引き機の違いがあり、夫婦でまたは家族で交代しながら生産を行っていたようです。
90度に温められたロウの化合物が入ったバットが一体となったロウ引き機には、手回しのシリンダーが付いていて一人は手回しで薄い雁皮紙を挟み紙をロウ付けし、もう一人はロウ付けした原紙を引き出す作業を行います。
ここで育った子供たちは親の手伝いとして原紙を引き出す作業を行っていたようです。
ロウ引き機の太さの違う2本のシリンダーは原紙を挟みこめるようなっていて、細い方のシリンダーにはロウの塗布具合を調整するために「典具帖紙」が巻き付けられています。
原紙を引き出すと、すぐにロウは乾燥し次々と重ねておくことができます。
現在残っているのはこの手引きのロウ引き機となりますが、ロウ引きの全自動機械化もあったようですが需要の減少とともになくなっていきます。
昭和紙工のロウ原紙生産ですが、罫線ありの雁皮紙の入荷は無く(印刷機に活版を使っているようですが刷りが非常に難しい)今在庫があるもののみとなるようです。ロウ引きの技術者も昭和紙工の親子のみでおかみさんもご高齢にでですので、あと3年頑張れたら。。。という状況となっていました。
私10-48として謄写版を版画利用する身といたしましては大変惜しい思いではありますが、また新たな挑戦ができたと思いしっかりと昭和紙工の技を拝見できてよかったと思います。
昭和紙工佐藤様ありがとうございました。
※注意:ご見学は技術者の方が大変ご高齢でご対応ができないこともありますので、通常受け入れておりませんので何卒よろしくお願い致します。